現在、自由な夫と元気な3人の子供たちと愉快な5人家族です
私の始まり。
1987年、会社員父と専業主婦母の元、神奈川県 湘南地方で産声をあげる。
同年、父の転勤にて青森県に引っ越す。
超明るい幼稚園生を経て、闇の小学校期は、コンプレックスに悩み、毎日『明日目覚めませんように…』とお祈りしてから眠りについていた超ブラック期を過ごす
合唱部に入り、運良く全国大会に『NHKホールで歌ったことあるんだぜ』は、死ぬまで言うであろう自慢話の一つ
ハンドメイドに目覚めた日。
洋裁学校出身の裁縫が得意な母の影響で、小学のクラブ活動は「手芸部」に。
小さいころから母を見ているからだろうか。他の子よりも手際が良くよく褒められた。(※5教科以外は!)
中学では、クラス替えでAちゃんと仲良くなる
これが私の第一ターニングポイント
Aちゃんの明るさに引き込まれて、闇を脱する。
美術部で、描いたポスターが選ばれ、『私の絵、姉妹都市のワシントンのポートエンジェルに飾られたんだぜ』も、私の数少ない自慢話の一つ
高校では、仲間と撮ったビデオの編集や、録音したラジオを編集して、My favorite songテープを作ることにハマる
洋楽のインストゥルメンタルに、作詞作曲してボーカルユニットを組んだのもこの頃
おしゃれに目覚める女子高生。
ビーズや金具を集めて自分用、友達用とアクセサリーを作り始めたのもこのころ。
父は日曜大工が得意で、工具が身近にあったことも、また、アクセサリー作りが手軽に始められたきっかけでもあった。
社会人経験を経て。
進路を決める頃、ベロベロに酔った父から、リストラにあったと告白される
リストラリストラと騒がれニュースでも見ていたので、あぁ我が家もか。と案外冷静に聞けたのには自分でもびっくり。
幼稚園の先生を目指して進学する気でいたが、このことをきっかけに就職することに。
高校卒業後、東京へ。
某外食チェーン店に入社。
初めての仕事、初めての給料、相場がわからず『やります!やります!』と残業続きに。
その分貯金はだいぶ貯まった
ミラクル出世入社2年目にして、新店舗の店長に任命されるが荷が重すぎて断る(やっとけばよかった)
『やっぱり保育士したいな…』会社を退社し、派遣で海外旅行保険の事務をしながら、通信教育を試みる(いろいろあって断念)
大好きだったおばあちゃんの死に目に会えなかったことで、東京と青森の距離を痛感し、一旦帰省。
貯めに貯めた貯金は、車必須な田舎暮らしのために、中古車を現金一括で購入
すっからかんに。。。
友達の紹介でダーツバーでバイトする
ボーカルユニット最初で最後の主催ライブ
ライブハウスのマスター、優しい2名のDJお兄さんや、暖かい友達に助けられ、オリジナル4曲を熱唱。とても良い思い出に
生足ミニスカ、へそだし、ピンヒールのニーハイブーツは私の中で伝説笑
「私のやりたいこと」を探し始める。
ぼちぼちして、彼(現夫)と同棲を始める
そんな時、周りの友達が専門学校を卒業し就職したり、高卒で就職した友達も、”手に職”と次々と資格を取り始めた。
みんな目標に向かう姿は輝いて見えた
今の私って、何の目標もないな~
そんな時、通信教育の雑誌をめくり、『手先器用だし、デコ向いてそう〜』という友達の言葉で少しずつデコに興味を持っていく。
当時、"デコ電"が流行っていて、ギャルデコイメージが高かった私は、調べるうちに、スワロフスキーの繊細でなんとも高貴な輝きにどんどん惹かれていった
その気持ちとは裏腹に、我が家の経済状況はどん底。
私のバイト代と貯金はみるみる消えていった
好きなことをする。なんて、考えもできなかった。
笑顔で頑張りすぎる性格が祟り、ある日プチっと糸が切れ、借金を背負って家出。
和食屋とスナックのバイトのハシゴ
しばらくして東京へ。
夢の大都市東京前は楽しむ余裕なんてなかったから、今度は楽しむぞー
だが、ほぼ無一文
友達が働いているお店を紹介してもらい、住み込みで夜の蝶に…
たまたま付いたテーブルで、たまたま付いたお客さんが、デコショップの社長さんだったことが人生ガラリと変わるこれまた大きなターニングポイント
デコ作家として屋号をもつ。
2011年、スマホケースデコ専門ショップに弟子入りし、
翌年CRYSTALLANE JEWELRYとしてデコを始める。
(なぜ、クリスタレンジュエリーという屋号なのかはこちら)
色々あって、現夫と結婚
出産を機に青森に戻る
2014年、同じような境遇のデコ作家と出会い、『IandC』を結成
主にkids向けのワークショップと物販で県内各地のクラフトイベントや、百貨店などに片っ端から出店(IandCの活動内容はこちら)
現在IandCそれぞれの道を応援しながら歩んでいます
2015年、地元むつ市にクラフトイベントがないこと。
むつ市には隠れた作家さん、職人さんがたくさんいること。
作家さんが市外のイベントにわざわざ出向いていること。を知り、
体験型クラフトイベント『じょいふるくらぶ』を立ち上げ、実行委員長に。
(じょいふるくらぶの活動内容はこちら)
2017年、アクセサリー製作を開始(ストーリーはこちら)
マーケティングとの出会い。
同年、子供を保育園に預けるため、マーケティング会社にパートで入社
5年半の勤務。
マーケティングコンサルのアシスタントを担当する。
事業縮小したことにより、もっと地域の皆様に密着することができた。
社長とスーパーパートタイマー(笑)の私で二人三脚
業務内容は多かったけど、たくさん勉強させてもらえて結果オーライ
食品や事業のコンサルが多かったが、“基本”は全て同じ。
「モノ」や「コト」を売るためには、少なからずマーケティング知識が必要だと思い知った。
業務として学ぶうちに、「ハンドメイド作家にも基本的なマーケティング知識は絶対必要だ!」と気づく。
アトリエProject始動。
山あり谷ありの作家人生を進行中ですが、
2020年、『アトリエProject』を始動。
なかなか思った物件に巡り合えず、まず始めたのは、アトリエLabo.。
暖かい仲間に恵まれ、色々と手探りで2年半オンラインサロンを行いました。
2021年秋、物件と巡り合い、アトリエハウスを始動。12月にオープン☆
現在の私。
①コミュニケーションスペースとして、スペース(席数)の拡大。
②小さいお仕事をやってほしい人・やってくれる人の橋渡し。
③アトリエハウス(及びTwin Willows)のお手伝いスタッフさんの増員。
この3つを次のステップに掲げて進んでいきます!!
私の想い。
たくさんの素敵なハンドメイド作品がありますが、その背景には、もっともっと素敵な作り手さんがいること。
そして、その作り手さんはとてつもない努力をし、試行錯誤を重ねて、今このハンドメイド作品たちは日の目を見ていること。
これは、自らが作家として活動し、クラフトイベントを主催し、たくさんの作り手さんと関わり、裏側を見てきたからこそわかったこと。
私は、「これから作家さんになりたいな〜」と思ってる方、「趣味で続けているけど、売れるのかな〜」と思ってる人、「既に作家活動をしているけど、もっともっとステップアップしたい!」と思っている人、そんな人たちの心に寄り添い、応援したい
『あなたの想いをカタチに…特別な輝きを…』というキャッチコピーは、スワロフスキーの商品に向けて謳っていました。
これからもこの想いは変わりません。
でもこれからは、『あなたの想いをカタチに…特別な輝きを…』このキャッチコピーを、
作家さんとして、もっともっと輝きたいあなたに届けたいそう思うようになりました。
私と一緒にステップアップしていきませんか
まずは、アトリエハウスの見学(ご予約はこちら)。またはハシメグ個別相談(ご予約はこちら)でお話しませんか?
お待ちしております♪